谷本 心 in せろ部屋

はてなダイアリーから引っ越してきました

道後温泉のおもてなし。

最近、あんまり聞かなくなった「おもてなし」。
やっぱり訳としてイマヒトツだと思うけど、それは良いとして。


先週の三連休に、友人の結婚式のため、愛媛の松山に行ってきました。
松山と言えば、やっぱり道後温泉
先々月の社員旅行でも行った道後温泉本館ですが、今回も足を運びました。


道後温泉本館には、400円で入れる「神の湯」と、1200円の「霊の湯(たまのゆ)」の二種類があります。
値段の安い「神の湯」は、浴槽が大きく、たくさんの人が入れるようになっており、
値段が高い「霊の湯」は、浴槽は小さめながら、入る人が多くないので、ゆったり入れます。


で、この「神の湯」と「霊の湯」、恐らく全く同じお湯を使っていて、
違いは浴槽の大きさと前後のサービスぐらいのはずですが、
何でしょうか、入った感じが全く違うんですね。


社員旅行の際に「霊の湯」に入って大満足し、
今回は「神の湯」に入ってガッカリし、
翌日に「霊の湯」に入りなおして、やっぱり満足しました。


確かに、人がたくさん入る「神の湯」の方が、明らかにお湯は汚かったのですが、
値段の高い「霊の湯」の方が、お湯にとろみがあるというか、絹のような肌触りというか、
たとえて言うなら、バフッと面で押してくる感じでしょうか。


また、一緒に入った人も(私から聞いたわけでないにも関わらず)同じ感想を述べており、
やはり何か「違う」と感じさせるものがあるのです。


しかしながら、Wikipediaにも同じお湯だと書いてあります。

神の湯と霊の湯の違いは使っている石の程度だが、霊の湯の方が人が少ないためゆったり入れる。

道後温泉本館 - Wikipedia


お湯が全く同じであり、お湯の汚さが肌触りに影響しない、ということを大前提として
それでも「違う」と感じるのであれば、
それは「値段」と「サービス」が作りだす「プラシーボ効果」と言わざるを得ません。
だからこそ、わざわざ「バフッと面で」なんて、一昔前に話題になった表現を使いました。
(参考 : http://www.shinetworks.net/cgi-bin/img-up/src/1181061003954.jpg


このプラシーボ効果こそ、
「サービス」、つまり「おもてなし」の本質ではないでしょうか。


要するに、「全く同じ」ものを提供していても、
利用者が少なく(希少価値があり)、値段が高いものの方が、
人は満足を得る、ということです。


「儲けたいなら、格差を生み出せ」


お風呂に入りながら、そんなお金のことばっかり考えていました。